本願寺新報9/1号 みんなの法話①
本願寺派のお寺がなかった愛知県刈谷市で布教所を開き、都市開教専従員として法務に勤しんでいます。
都市開教における法務の特徴を一つ挙げますと、「初めての出会いがその方の葬儀」ということでしょうか。
長崎県の地方都市で法務をしていた頃、寺院周辺の家庭のほとんどは本願寺派のご門徒で、それぞれの家庭で亡くなる方がおられたら、顔見知りであるのが当たり前のことでした。
顔見知りのお宅へ臨終勤行に訪れ、顔見知りのスタッフと打ち合わせをして、顔見知りのご遺族と故人の思い出を語り合うのが常でした。
長く門徒総代を務めていた方が亡くなられた時、臨終勤行に参らせていただきました。ご遺族と一緒に読経をさせていただきながら、報恩講やお彼岸の荘厳(お飾り)を一緒にしたことを思い出すと涙がこぼれて止まらず、困った覚えがあります。
おつとめを終えてご遺族やご近所の皆さんの方へ向き直ると、故人の長男さんが同様に涙をこぼしながらバツが悪そうに笑っておられました。
「家での親父は頑固でうるさいばかりで、お坊さんが泣いて惜しんでくれるような男でしたかなぁ・・・」
僧侶が泣いてしまうのはいかがかと思いますが、忘れ難い記憶として大切にしています。私の命が尽きるまで、何度も思い返すことでしょう。お寺とそれを護持されるご門徒が、代々にわたって関係性を築いてきたからこそ、故人お一人おひとりの話題やご遺族との絆が育まれていくのでしょう。
ところが、私が都市開教を行う愛知県下、特に都市部においては事情が異なります。
本願寺派の盛んな地域、北陸・中国・九州地方などから炭鉱の閉鎖、農業・漁業環境の変化、集団就職など、さまざまな事情で東海地区に移住し、就職、結婚して家を構えて、いざ法事や葬儀を営むという時、本願寺派の寺院を探してくださる方々と出会うことになります。
(みんなの法話②に続く)