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法話

大乗(2014年12月号) みほとけとともに掲載分①

本願寺出版社さまから刊行されている「大乗」に寄稿させていただきました。

月あかりに照らされて

お通夜のお勤めを終えた帰りなど、ふと明るいのに気付いて「ああ、今日は満月だったか」と信号待ちに夜空を見上げることがあります。
どういう訳かしんみりした気分になり、前日の臨終勤行における自分の言動やつい先程の通夜勤行における法話の内容など、一人で反省会を始めます。
ご家族を亡くされたばかりで、慣れない事の多い葬儀を懸命にとり行うご遺族の皆さまにも、一息つける時間があってほしい、休める時にしっかり休んでいただきたいと願いながら明日の葬儀の日程の確認などをしています。
これまでの事、これからの事に思いをいたしつつ、月を見ながら一句ひねったりできるなら、さぞかし豊かな人生であろうと思うのですが、残念ながら私は歌詠みの才覚に恵まれていないようです。

月を題材に詠まれた歌は数多くあるのでしょうが、決まって印象深く思い起こされるのは藤原道長のものです。娘の一人が後一条天皇の后となった祝宴の席上、即興の歌が詠まれたと伝えられています。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」
(この世は自分のためにあるようなもの。満月のように足りないものはなにもない。)
意訳を教えてくれたのは日本史の担当教諭だったでしょうか。当時の私は中学生でしたから、及ぶ者のない権力を手中にした歴史上の人物に対して距離感や忌避感を抱いたものです。
自らの権勢を誇示する尊大な姿、それは潔癖で反抗期の真最中にある中学生には嫌悪感を抱かせるのに十分であったのだろうと思います。
しかし今、月を見上げながら思う藤原道長は少し違うのです。

 

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