法話
大乗(2014年12月号) みほとけとともに掲載分②
本願寺出版社さまから刊行されている「大乗」に寄稿させていただきました。
当時の日本の暦は月の満ち欠けの周期を一か月とする太陰暦です。平安時代の人々にとって「月」とは満ち欠けを繰り返す、常ならざるものとして頭上に輝いていたのではないでしょうか。
また道長は晩年に浄土信仰に親しみ、現代では焼失していますが平等院の手本にもなったという豪壮華麗な法成寺を建立しています。
寺内には阿弥陀堂が建立され、道長の臨終に際しては九体の阿弥陀如来像の手から自分の手まで五色の糸を結び、お釈迦様の涅槃にならい頭北面西右脇に横たわりました。
多くの僧侶による読経の中、自らもお念仏を口ずさみ、西方浄土を願いながら往生した、と伝えられています。
月は満ち欠けを繰り返すものだとよくわきまえ、仏教の素養にも明るい平安貴族である藤原道長。そのように人物像をあらためて「この世をば~」の歌を見てみると、また異なる様子が見えてきます。
自らの権勢が永遠のものではない事。勝ち取った権力の座は、いつか誰かに取って代わられること。
諸行は無常であることを月を見るたびに思い出し、にもかかわらず目の前で不変と思い込んだ栄耀栄華に酔いしれる一族郎党の様子に危うさを感じる一族の長の姿が見えるようです。
祝宴には自らの勢いを誇示するために政敵も同席していたと伝えられています。彼らに対しても自らに付け入る隙も油断もないことを伝えようとするなら、この歌に詠み込まれた道長の心とはどのようなものだったのでしょうか。